津地方裁判所四日市支部 昭和59年(ヨ)144号
申請人
渥美克治
申請人
樋口勝治
申請人
市川雅彦
右申請人三名訴訟代理人弁護士
松葉謙三
同
谷口彰一
同
中谷雄二
被申請人
三港陸運株式会社
右代表者代表取締役
渡部茂樹
右訴訟代理人弁護士
高橋美博
主文
一 申請人らが被申請人に対し雇傭契約上の地位を有することを仮に定める。
二 被申請人は申請人らに対し、昭和五九年一二月から本案判決確定に至るまで、毎月二七日限り別紙(略)賃金一覧表平均賃金欄記載の各金員を仮に支払え。
三 申請費用は被申請人の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 申請人ら
主文第一、二項と同旨。
二 被申請人
申請人らの請求を棄却する。
第二当事者双方の主張
一 申請の理由
1 当事者
(一) 被申請人は、一般区域自動車運送事業を業とし、昭和四七年一月設立された資本金一、三〇〇万円の株式会社である。
被申請人は、四日市市天カ須賀に本社を置き、荷主である四日市生コン株式会社内及び亀山宇部コンクリート株式会社内に事業所(以下それぞれ「四日市事業所」、「亀山事業所」という)を持っている。被申請人の四日市事業所及び亀山事業所の生コン車、箱車及び運転手の数は別紙車両台数等一覧表記載のとおりである。
(二) 申請人らは、被申請人四日市事業所の従業員で生コン車の運転手である。
2 組合分会の結成
申請人らを含む被申請人会社の生コン運転手一一名は、会社の残業手当が一時間二〇〇円という低額であったことと、強制的に県外出張させられたこと、昼休みがほとんど与えられなかったこと等劣悪な労働条件を改善するため、昭和五八年一二月一二日、全日本運輸一般労働組合三重支部に所属する同組合三港陸運分会(以下「組合分会」という)を結成した。
申請人渥美克治は右三重支部執行委員で組合分会副会長であり、申請人樋口勝治は同支部執行委員であり、申請人市川雅彦は同支部オルグ団員である。
3 組合分会結成後の被申請人の不当労働行為
(一) 組合脱退工作
被申請人の親会社であり荷主である亀山宇部コンクリートの社員である川村豊春と傍系の住吉生コンの従業員稲垣は昭和五八年一二月二二、三日ころ、組合分会員数名の家庭を訪問し、「運輸一般をやめてくれ」、「運輸一般に入ると会社がつぶされるし、会社を辞めてもどこも使ってくれない」、「運輸一般以外の組合ならどこでもよい」、「ストをしないでくれ」等としつこく組合工作をし、抗議をしても繰り返した。
また、被申請人会社代表取締役渡部茂樹は昭和五九年一月二一日組合分会長の川戸敏彦に対し、「周囲の生コン会社の賃金体系並以上にするから、運輸一般をやめてくれ。他の組合ならいい」などと組合脱退工作を行った。
(二) 団交拒否と組合無視
組合分会は結成後被申請人に対し何回も団交を申し入れたが、被申請人は団交期日をなかなか決めず、また期日を決めても一方的に延期を繰り返し、二、三回団交を申し入れてやっと一回団交が実現するという状態であった。しかも、団交の組合側交渉人員は四人、団交時間は午後七時三〇分から九時、団交場所は亀山商工会議所等と一方的に制限した。
また、被申請人は、組合分会の要求事項についてはこれをほとんど無視して受け入れようとせず、話し合いが成立したことはほとんどない。
(三) 第二組合の結成
昭和五九年二月、被申請人会社内に同盟系の第二組合(三重一般同盟三港陸運労働組合)が結成されたが、係長が委員長となり、取締役の娘婿も加入しているもので、運輸一般の組合分会結成後まもないことであり、被申請人が第二組合を結成させたものと考えざるをえない。
(四) 労務屋・原田の入社
昭和五九年三月、被申請人は労務屋・原田を入社させたが、同人は、愛知県の運輸一般の組合(山建分会、第三建設分会、日比野分会)のある会社の労務係を経験し、あるいは兼務しており、そこでも暴力団を使うなどして組合つぶしを行っている人物である。右原田を労務担当として会社に入社させたことは、明らかに組合つぶしを目的としたものであり、組合分会を敵視した行為である。
原田入社後、出退勤管理が異常に厳しくなり、些細なミスをとらえ、あるいは従来の労働慣行に反した主張をし、これに違反するとして、賃金カットをし、あらかじめ何ら注意することなく内容証明郵便で警告書、戒告書、通告書などを濫用するという異常さであった。
(五) 事業所内での組合活動の禁止
被申請人は、組合分会結成までは、従業員控室に従業員がカレンダーや写真を貼ったり、控室内で夜おそくまでマージャンをやることを許してきたのに、組合分会結成後は控室に組合のビラを貼ったり、組合分会が集会に使ったり、マージャン大会をやることを一切禁止するに至った。被申請人は、組合分会が控室にビラを貼ると、渡部社長自らこれを剥がしてしまい、また、組合との団体交渉すら事業所内で行うことを拒否し、亀山商工会議所でしか行わなかった。
(六) 不当な賃金カット
昭和五九年五月二四日は午後から地労委に出席することになっていたところ、一一時三〇分までに帰社できない場合には新たな仕事に行かなくてもよいとの藤井課長の指示にもとづき、組合分会員数名が二回目の運送に行かず一一時三〇分まで待機していたところ、被申請人は右待機時間につき不当にも賃金カットをなした。
また、申請人渥美が同年七月二三日午後三時以後のストライキに参加したことに対し、被申請人は同申請人の午後二時二三分から三時までの賃金カットをした。
(七) 傭車契約解除の通告
組合分会員のうち、川戸敏彦、川戸孝一、太田益美はいわゆる傭車契約者であるが、傭車契約者と一般従業員とは賃金体系が異なるのみで、就業規則、勤務時間、休日などすべて同じであり、雇傭契約関係であることは相違ない。従って、傭車契約者もストライキに参加する権利があることは明らかである。
しかるに、被申請人は右三名が昭和五九年七月二三日のストライキに参加したことをとらえ、今後ストライキに参加したら傭車契約を解除するとの通告を行った。
4 本件解雇
(一) 被申請人は昭和五九年一一月二二日付で申請人ら三名を整理解雇するとの意思表示をなした。
(二) 本件解雇の経過
被申請人は昭和五九年一〇月二二日の団体交渉において組合分会に対し、「四日市事業所の人件費率が高いから、三名の希望退職者を募集したい」と主張し、同月二四日希望退職者募集要項を掲示し、同月二二日から同月二七日までを募集期間とした。
被申請人は、右期間内に希望者がなかったため、同月三〇日、募集期間を同月二九日から同月三一日までとする希望退職者を募り、その間に希望退職者がなかった場合には指名解雇するとの掲示を行ったが、やはり希望者が出なかったので、同年一一月二日には指名解雇すると言明した。
被申請人は、同年一一月一日地方労働委員会において委員から、組合と十分話し合うよう注意をうけたため、団体交渉において一応の話し合いは行ったが、組合の納得をうるような資料を示さず、十分な説明を行わないまま同月二二日付で申請人らを解雇したものである。
5 本件解雇の無効性
(一) 不当労働行為
被申請人は組合分会結成後、組合分会を極端に嫌悪し、数々の不当労働行為を行ってきた。
特に労務屋原田入社後、解雇の正当性を装うため計画的に警告書などを濫発し、警告書、戒告書の多い申請人三名を解雇したものである。警告書、戒告書なるものを、些細なミスか、落度がないのに落度としたりして内容証明郵便で出すなどは、まったく異常としか考えられないものである。
また、昭和五九年四月には前記原田と池田課長が「遅刻何回で解雇できるか」と話し合っていたり、同年八月には右原田が「四日市営業所のものは態度が悪いから解雇する」と発言したり、同年一〇月には藤井取締役が「今年いっぱいで見せしめのため解雇する」と発言している。
以上の経過からすると、申請人らに対する本件解雇は、整理解雇に名をかりてはいるが、本当は組合つぶしのための計画的な解雇であることは明らかである。
よって、本件解雇は不当労働行為であるから無効である。
(二) 解雇権の濫用
本件解雇は整理解雇であるとするが、生コン運送はこの時期から仕事が多くなるものであり、被申請人会社の生コン車と運転手の数からいっても余剰人員は無く、整理解雇の必要性は認められない。また、整理解雇の基準も不合理であり、組合分会や申請人らに対する十分な説明もなく、解雇回避努力もなく、本件解雇は解雇権の濫用にあたり無効である。
6 被保全権利
以上のとおり、本件解雇は無効であるから、申請人らは被申請人の従業員としての地位にあり、従来どおり賃金債権を有する。申請人らの解雇前三か月間の賃金及び月平均賃金は別紙賃金一覧表記載のとおりであり、賃金の支払時期は毎月二七日である。
7 仮処分の必要性
申請人渥美は、昭和五九年一〇月一五日結婚し、妻はヘルニアの手術のため静養中であり、父母は高血圧のため通院と静養中で働けず、申請人の給与で四人が生活していたものである。
申請人市川は独身であるが、昭和五九年一〇月に家を新築したばかりで、住宅金融公庫に対して五〇〇万円の借金を毎月返済しなければならず、車の月賦も毎月二万円(ボーナス月は一一万七〇〇〇円)あり、生活は大変苦しい。
申請人樋口は独身であるが、昭和六〇年に結婚する予定であったものであり、このままでは結婚できない状態である。
申請人らは給与を唯一の収入源として生活するものであり、仮処分の必要性はきわめて高い。
よって、申請人らは、被申請人を相手に従業員としての地位確認、賃金請求の本訴を提起すべく準備中であるが、本訴の結果を待っていては申請人らの生活は維持できないので本申請に及ぶ。
二 申請の理由に対する認否
1 申請の理由第一項の事実は認める。
但し、被申請人は、亀山及び天カ須賀に主たる事業所をもち、亀山については渡部茂樹が、天カ須賀については石嶺博司が各自別々に事業を営み、法人格は一つであるが、両者は全く独立しているものである。
2 同第二項の事実のうち、申請人らを含む生コン運転手一一名が主張のごとく組合分会を結成したことは認めるが、申請人らの分会内での地位は不知、その余は否認する。
3 同第三項の事実について、
(一) (一)の前段は不知、後段は否認する。
(二) (二)のうち、被申請人が団交の延期をしたこと及び交渉人員、時間、場所について申し入れたことは認めるが、その余は否認する。
被申請人は、団交要求に狼狽のあまり若しくはたまたま忙しい時期と重なっていたため団交の延期を申し入れたのであって、団交を無視したり拒否した事実はない。また、被申請人は、組合の要求事項について能力の範囲で誠意をもって答えてきたのであり、要求を無視した事実はない。組合の要求事項について妥結に至らなかったのは、組合が会社の能力を無視し、あくまで自己の主張に固執した結果であり、被申請人は出来るだけの努力をしてきたものである。
(三) (三)のうち、申請人主張のごとき同盟系の組合が結成されたことは認めるが、その余は否認する。右組合の結成は被申請人と関りないことである。
(四) (四)のうち、原田が入社したこと及び警告書、戒告書、通告書を発したことは認めるが、その余は否認する。
出退勤管理が厳しくなったことについては、組合が結成され労使として団体交渉に入る以上、従前の家族的雰囲気から脱却して行うことが昭和五九年六月津地方労働委員会調停中に確認された結果に基づくものであり、何ら他意はない。申請人らの主張は、従業員であること、さらには前記確認を無視した不当なものである。
(五) (五)のうち、組合分会のビラを社長自ら剥したこと及び団体交渉は亀山商工会議所でしてきたことは認めるが、その余は否認する。
(六) (六)のうち、主張のごとき賃金カットをしたことは認めるが、その余は否認する。申請人らが就業を拒否して就労しなかった時間につき、被申請人が賃金カットするのはむしろ当然である。
(七) (七)のうち、傭車契約を解除する旨の通告をしたことは認めるが、その余は否認する。傭車契約は請負契約であり、雇傭契約ではない。
4 同第四項の事実のうち、希望退職者の募集を二度にわたり行ったこと、その間に応募のないときは指名解雇するとの掲示を行ったこと、退職の希望者が出なかったので、昭和五九年一一月二二日付で申請人らを整理解雇する旨の意思表示をしたことは認めるが、その余は否認する。
5 同第五項は争う。
6 同第六項の事実のうち、申請人らの解雇前三か月間の賃金及びその支払日が主張のとおりであることは認めるが、その余は否認する。
7 同第七項は争う。
三 被申請人の主張
1 会社の概要等について
(一) 被申請人は、自動車運送事業を目的として昭和四七年一月に設立された会社であるが、昭和五六年に社名変更し従前の生川運送株式会社から、現在の社名に至っているものである。
また、被申請人は、昭和五四年一一月までの間は生川平一郎が代表取締役としてこれを経営していたものであるところ、経営悪化のため、昭和五六年一二月現代表取締役渡部茂樹、同石嶺博司がその債務を引受ける条件で買い受けた会社であり、その実質は新会社と同様のもので、経営の内容は変化しているものである。
右のごとく渡部・石嶺の両名が被申請人会社を引継いだものであるが、その経営の内容は渡部、石嶺が各々別個独立して経営をしており、渡部においては、その本拠を亀山に置きミキサー輸送部門を主とし、石嶺においては、その本拠を天カ須賀に置きトラック輸送部門を主として、各々独立採算制で経営してきたものであり、右両者は法人格上においては一つであるが、その実質は全く別個の二つの会社である。
(二) 代表取締役渡部の経営する事業部門は、昭和五八年一二月時点においては、(1)ミキサー部門、(2)トラック輸送部門(いわゆる箱車)から構成されており、得意先収入区別に仕分けすると左のとおりとなる。
(1) ミキサー部門
イ 亀山宇部コンクリート・生コン輸送部門
ロ 四日市生コン・輸送部門
ハ 大門生コンクリート・生コン輸送部門(横浜市)
ニ 応援部門(右イないしハ以外の他社応援)
(2) トラック輸送部門
右のとおり、被申請人の経営主柱は輸送五部門から構成されており、会社の経営も右五部門の運賃収入により総合的に経営されている。そして、右五部門の収入比率は、全収入に対して各々が約二〇パーセントを占める状況にあったものである。
(三) 荷主亀山宇部コンクリート及び四日市生コンとはそれぞれミキサー七台保証がなされ、毎月七台分の運賃保証がなされている契約になっている(もっとも、必ずしも保証額が支払われていた訳ではない。)ところ、被申請人の人員体制(アルバイト傭車を含めて)は、トラック輸送及び大門生コンクリートを別にすると、二一名体制を採り経営にあたっていたものである。
右二一名体制の内訳は次のとおりである。
(1) 亀山宇部コンクリート 七名
(2) 四日市生コン 七名
(3) 応援、出張人員 七名
2 本件解雇に至る経営状況について
(一) 被申請人の第一一期(昭和五六年四月一日から翌年三月三一日まで)の損益決算は七五万七、六八九円の損失、前期繰越損失を含めるとその未処理損失は二七六万八、〇一八円であり、第一二期(昭和五七年四月一日から翌年三月三一日まで)の損益決算は五六八万三、四一一円の損失、前期繰越損失を含めた当期未処理損失は八四五万一、四二九円であり、第一三期(昭和五八年四月一日から翌年三月三一日まで)の損益決算は六八〇万四、七九〇円の損失、前期繰越損失を含めた当期未処理損失は一、五二五万六、二一九円であり、第一四期(昭和五九年四月一日から同六〇年三月三一日まで)の損益決算は一、二四六万九、六九二円の損失、前期繰越損失を含めた当期未処理損失は二、七七二万五、九一〇円である。
従って、被申請人会社全体を見れば、赤字であること明らかである。
(二) 次に、代表取締役渡部の経営していた部門をみると左のとおりである。
(1) 第一一期
当期利益 三五五万二、〇六九円
(2) 第一二期
当期利益 一、一二〇万六、八七八円
当期未処理利益 一、四七五万八、九四七円
(3) 第一三期
当期損失 一、〇七九万一、四一五円
当期未処理利益 三九六万七、五三二円
(4) 第一四期
当期損失 七六一万四、九〇七円
当期未処理損失 三六四万七、三七五円
(三) 渡部の経営する部門は、その経営基盤が脆弱であって、当時予定していた人員体制における運賃収入が欠ければ、直ちに資金繰りに困難となる状況であった。
このことは、財務諸表上からも明白なところであり、渡部の経営する部門の財務体質は別紙財務比率表記載のとおりである。
即ち、その財務体質においては、他人資本に依存する面が多く、経営自体は不安定な状況にあり、固定資産長期適合率の面からすれば、売上利益率が予定通り推移する限り他人資本特に借入金の返済もなしうるが、売上利益率が低下すればたちまち短期借入金に依存しなければならず、直ちに経営悪化をもたらす状況にあり、資金ショートをもたらすことが明白である。そして、売上総益率は、一三期・一四期が前二期に比較して極端に低下し、経営が悪化していることが明らかであり、売上利益率をみると、一三期・一四期は赤字となっている。
右赤字の理由は運賃原価が極端に増加していることによるものであるところ、運賃原価の多くが給料手当等に関する人件費で占められている以上、財務諸表上も、人件費を減少させるか運賃収入を大幅に増加させなくては、赤字を解消することは不可能であることが明らかである。
(四) ところで、渡部の経営する部門の経営が悪化し始めたのは、昭和五九年二月(第一三期後半)のことである。
生コン運送の忙しい時期は毎年一〇月頃から三月頃までであり、右時期の収入で残りの半年分のマイナスを埋めることになるものであるところ、昭和五九年二月ころから経営の一主柱であった応援出張について組合の協力が得られなくなり、さらには取引先から応援を断ってきたことから、経営の一つの主柱を失ってしまい、たちまち売上高が減少して資金ショートを惹起した。
このため被申請人は、予備車を売却することにより資金手当をしつつ、荷主に対して運賃の交渉に着手したが、その成果をみたのは昭和五九年一〇月ころのことであり、その内容も大幅な運賃の値上げには至らなかった。
また、被申請人は他社応援という面の営業活動に力を入れたが、他社からのチャーターでは利幅が薄いこと及び応援の仕事自体もとることができなかったことから、結局固定費を下げるべく、アルバイトや間接部門の人員を削除し、その間の不足分を借入金でまかなっていた。
ところが、昭和五九年一〇月、渡部の経営していた大門生コンクリート株式会社の生コン輸送が組合の告発により営業出来なくなったことから、さらにまたその主柱の一つを失う結果になり、経営上大きな打撃を受けることになった。
(五) 右のように、被申請人は、その経営基盤の主柱である五部門のうち二部門を失い、この意味で人員が余剰となり(ことに応援体制を予定した人員が余剰となる。)、売上高が減少し、今後生コンクリートの需要について期待を持ちえず、大幅な売上を得る目途がなくなった。
そのため、被申請人は、経営改善のためには人員を削減しない限り倒産状態に至ると料断して、本件解雇にふみ切ったものである。
3 本件解雇の手続について
(一) 被申請人は、前記のとおり、昭和五九年二月以降経営が悪化し、その資金不足を来たしたため、従前の二一名体制から人員を削減する、車両を売却する等のやりくりをしつつ、他方営業努力を続けてきたが、結局効を奏さず、資金不足から経営が行き詰まるのが必至の状況に立ち至った。
このため、被申請人は昭和五九年一〇月二二日以降二度にわたって希望退職者を募集し、右の件に関しても組合との団体交渉も実施した。
しかるに組合は、「組合員には、希望退職する者はないから聞かんでもええ」「辞めて行く人には、関係がない」等といって、真剣に被申請人の説明を聞こうとせず、その説明に対し些細なあげ足取りをするのみで、大局的見地から会社の窮状を受け止めることをせず、団体交渉をしても結局会社の窮状について何らの打開策も得られなかった。さりとて、現状のままで推移すれば、倒産は必至の状況となるため、被申請人はやむなく、就業規則三九条四号「その他、会社の都合によりやむを得ない事由」があることを理由に、労働基準法二〇条による予告手当三〇日分を提供して、昭和五九年一一月二二日申請人ら三名を解雇したものである。
(二) 本件解雇の基準は、出退勤等の就業状況の悪い者及び再就職出来る可能性の高い者を選択したものである。
昭和五八年一月から同五九年一〇月までの出退勤の状況は別紙出退勤等一覧表記載のとおりであり、申請人樋口、同市川について出退勤状況の悪いことは明らかである。
申請人渥美については、出退勤の状況が良好であることは認められるとしても、就業態度が不良である。同人の就業態度が良くないことは警告書、戒告書等の発せられている回数が最も多いことからも明らかである。
4 以上のとおり、本件解雇は純粋に経営悪化によるものであって、不当労働行為目的もないし、また解雇権の濫用の事実もない。現に借入金が存し、従前の人員体制では経営を建て直すことの出来ないやむをえない結果なのである。
第三疎明
本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるからこれを引用する。
理由
一 被申請人は自動車運送事業を目的として昭和四七年一月設立された資本金一、三〇〇万円の株式会社であり、三重県四日市市天カ須賀に本社を置き、荷主である四日市生コン株式会社及び亀山宇部コンクリート株式会社内に事業所(四日市事業所及び亀山事業所)を設置していること、申請人らは右四日市事業所の従業員で生コン車(コンクリート・ミキサー車)の運転手をしていたものであり、全日本運輸一般労働組合三重支部に所属する同組合三港陸運分会の組合員であったこと、被申請人が昭和五九年一一月二二日付で申請人ら三名を整理解雇する旨の意思表示をしたことは、当事者間に争いがない。
申請人らは、右解雇の意思表示は不当労働行為あるいは解雇権の濫用であっていずれも無効である旨主張するので、以下この点について判断する。
二1 被申請人会社の概要
(証拠略)、被申請人代表者の尋問結果を総合すると以下の事実を一応認めることができる。
(一) 被申請人会社は、自動車運送事業を目的として昭和四七年一月設立されたが、その後いく度か経営者及び社名が変更され、昭和五四年一一月までは生川平一郎が代表取締役としてこれを経営しており、同五四年一二月現代表取締役渡部茂樹及び同石嶺博司が旧債務を引受ける条件でこれを買い受け、同五六年に生川運輸株式会社から現在の社名に変更されたものである。
被申請人の経営内容は、右渡部及び石嶺が各々別個独立して経営をなし、渡部においてはその本拠を亀山に置きコンクリート・ミキサー輸送部門を主とし、石嶺においてはその本拠を天カ須賀に置きトラック輸送部門を主として、各々独立採算制で経営してきたものであり、法人格は一つであるが、その実質は全く別個の二つの会社といってよい状態である。それで、右渡部の経営する事業所の従業員で結成された組合分会は右石嶺を被申請人代表者として交渉したことは一度もなく、申請人らは石嶺の顔を見たことすらなく、その経営する事業所の従業員との間に何らの接触もない。ただ、被申請人の決算期における財務諸表上においてのみ両者が一体として表記されているにすぎないものである。
(二) 被申請人の事業(以下、特にことわらない限り代表取締役渡部の経営する事業部分をいう)は、昭和五八年一二月の時点において、(一)ミキサー輸送部門、(二)トラック(いわゆる箱車)輸送部門から構成されており、右ミキサー輸送部門をさらに得意先収入区別に分けると、(1)亀山宇部コンクリート・生コン輸送部門、(2)四日市生コン・生コン輸送部門、(3)大門生コンクリート・生コン輸送部門(横浜市)、(4)応援部門(右(1)ないし(3)以外の他社応援)であった。
このように、被申請人の経営は輸送五部門から構成されており、その各運賃収入により総合的に経営されていたのであるが、右五部門の収入比率は全収入に対して各々が約二〇パーセントを占める状況にあった。
なお、被申請人と荷主である亀山宇部コンクリート株式会社及び四日市生コン株式会社との間では、それぞれミキサー車各七台を常時保有すべきことが契約されており、従って、毎月各七台分の運賃保証がなされているものである。
(三) 被申請人の亀山事業所及び四日市事業所における昭和五九年当時の従業員(運転手)数は二一名ないし二四名であり、このうちには通常の従業員の外に傭車契約を伴う従業員とアルバイトとして雇傭されているものが含まれており、また両事業所における生コン車及び箱車の台数は二〇台ないし二四台であった。
2 組合分会の結成とその後の経緯
(証拠略)、被申請人代表者の尋問結果を総合すると以下の事実を一応認めることができ、(証拠略)、被申請人代表者の尋問結果中、左記認定に反する部分はいずれも措信することができない。
(一) 被申請人亀山事業所及び四日市事業所に勤務する生コン運転手一一名は、昭和五八年一二月一二日、残業手当の改善、強制的な県外出張の廃止、昼休み時間の確保等の労働条件改善を目的として、全日本運輸一般労働組合三重支部に所属する同組合三港陸運分会を結成した。
昭和五九年一一月当時、申請人渥美克治は右三重支部執行委員で組合分会副分会長であり、同樋口勝治は右三重支部執行委員であり、同市川雅彦は右三重支部オルグ団員であった。
(二) 組合分会は昭和五八年一二月一三日被申請人に対して右労働組合の結成を通知し、その場で団体交渉の申し入れをしたところ、被申請人代表者渡部は同月一六日団交期日を約束したが、当日になってこれを同月二〇日に延期し、さらにこれを同月二六日に変更してようやく第一回の団体交渉を持つに至った。右をはじめとして、被申請人は団交期日の取決めに誠意を持たず、一旦期日を決めても一方的に延期を繰り返すなどし、二、三回団交の申し入れ、延期がなされてようやく一回団体交渉が持たれるという状態であった。また、被申請人は、団体交渉の交渉人員を制限し、交渉場所を亀山商工会議所、交渉時間を七時半から九時までと一方的に指定し、これを守らなければ団体交渉に応じないとの態度を固執した。そのため、団体交渉が開かれても、その多くは手続的な問題に時間を取られ、交渉内容についての十分な話し合いがなされることが少ない状態であった。
組合三重支部は昭和五九年一月一九日三重県地方労働委員会に対して被申請人の団交拒否、組合脱退工作を理由に救済申立をなし、同年六月三〇日同委員会において和解がなされ、その後の団体交渉については若干の改善がみられるようになった。
(三) 被申請人の荷主である亀山宇部コンクリート株式会社の社員である川村豊春及び傍系の住吉生コンの従業員稲垣は昭和五八年一二月二二、三日ころ、分会員である橋爪富孝及び太田益美に対し、「運輸一般をやめてくれと貴方から皆んなに言ってほしい」「運輸一般に入ると会社が潰されるし、会社をやめてもどこでも使って貰えない」「組合を抜けてくれんか」等と勧告し、また、被申請人代表取締役渡部は昭和五九年一月二一日ころ分会長である川戸敏彦に対し、「周囲の生コン会社の賃金体系並以上にするから、運輸一般はやめてくれ、他の組合ならいい」と組合から脱退するよう述べたことがある。
(四) 昭和五九年二月に、被申請人会社内に同盟系の第二組合(三重一般同盟三港陸運労働組合)が結成されたが、同組合は係長が委員長となり、取締役の娘婿も加入しているもので、申請人らの所属する組合分会に対抗して、被申請人の指導のもとに作られたものと推認される。
(五) 被申請人は昭和五九年三月一日労務担当課長として原田康雄を入社させたが、同人は従来いくつかの会社、団体の労務係を担当し、労働組合に対しては敵対的な行為を多く実行してきている者である。右原田は、組合分会が結成された直後から被申請人の団体交渉等に関する組合対策に関与してきており、入社後は会社に週一回位出勤するのみであるが、労務全般にわたり代表取締役渡部を指導し、組合対策を担当するに至った。
右原田入社後は、出退勤管理が異常に厳しくなり、組合分会員が一分遅刻してもその理由を届出なければならないものとし、また些細なミスをとらえ、事前に事情を聞いたり口頭で注意することもなく、警告書、戒告書等を内容証明郵便で分会員の自宅にしばしば郵送した。
また、被申請人は会社内では絶対に組合活動を認めないという態度をとり、従業員控室に組合ビラを貼ったり、そこで集会することを禁止し、組合関係のビラを直接剥がす行動に出たり、会社建物に組合ビラを貼ることは建造物の損壊になる旨文書で警告し、組合活動に対しては些細なことについてもしばしば敵対的な行動に出ていたものである。
(六) 昭和五九年五月二四日は組合分会員全員が午後から地労委へ出席することになっていたところ、一回目の運送の後二回目の運送にかかるか否かにつき分会員らと藤井課長との間で話し合いがなされ、結局分会員らが一回目の運送終了後午前一一時三〇分まで運送業務につかなかったことにつき、被申請人はこれを無断怠業とみなし、分会員らに事情聴取することなく一方的に賃金カットをなした。また、右賃金カットの件につき組合分会が同年七月二三日午後三時以降ストライキを行ったところ、被申請人は分会員である川戸敏彦、川戸孝一、太田益美らに対し、「今後ストライキに参加したら、傭車契約を解除する」旨を内容証明郵便で通告し、これらのことが組合分会の争議行動を誘発し、さらに双方の対立を深めて行った。
そのため、組合分会は昭和五九年一〇月二六日地労委に対し、被申請人の団交拒否、賃金カット等を理由に救済申立をなした。
3 被申請人会社の経営状態
(証拠略)、被申請人代表者の尋問結果を総合すると以下の事実を一応認めることができる。
(一) 被申請人(代表取締役渡部の経営部門)の損益決算状況をみると、被申請人作成の会計書類によれば次のとおりである。
(1) 第一一期(昭和五六年四月一日から同五七年三月三一日まで)
当期利益 三五五万二、〇六九円
(2) 第一二期(昭和五七年四月一日から同五八年三月三一日まで)
当期利益 一、一二〇万六、八七八円
当期未処理利益 一、四七五万八、九四七円
(3) 第一三期(昭和五八年四月一日から同五九年三月三一日まで)
当期損失 一、〇七九万一、四一五円
当期未処理利益 三九六万七、五三二円
(4) 第一四期(昭和五九年四月一日から同六〇年三月三一日まで)
当期損失 七六一万四、九〇七円
当期未処理損失 三六四万七、三七五円
(二) 三重県下における生コンクリートの出荷実績は昭和五六年以降大きな変動はみられないが、被申請人は昭和五九年二月(第一三期後半)ころからその経営が苦しくなってきた。その理由としては、昭和五九年二月ころから他社への応援・出張について従業員の協力が得られなくなったこと、及び同年一〇月から横浜市にある大門生コン輸送が経営できなくなったことが、経営上大きな減収をもたらしたものである。
(三) 被申請人においては、前記のとおり荷主の亀山宇部コンクリート株式会社及び四日市生コン株式会社からそれぞれミキサー車七台分の最低保障がなされているところ、荷主が暇なときにはその余剰車両をもって他社に応援に出ることにより利益をあげることができ、一台一日当り三万円ないし三万八、〇〇〇円の収入を得ることができる。しかし、右応援につき、組合分会は応援手当一、〇〇〇円ないし二、〇〇〇円を要求し、被申請人がこれを従前通り五〇〇円と固執したため、組合分会において右応援を拒否する争議行為を継続したままとなっている。そのため、被申請人は他社の車をチャーターして応援に出ているが、自社の従業員による場合のように利益をあげるものとはなっていない。
(四) 被申請人は、横浜市にある大門生コンクリート株式会社の生コン輸送を三重県ナンバーの車両によって営業していたため、これが組合分会員を通じて陸運局に知れるところとなり、昭和五九年一〇月から営業廃止のやむなきに至った。同事業所において雇傭していた従業員は右荷主に直接雇われることとなり、車両七台のほとんどは売却された。
(五) 被申請人の資産は車両以外にさしたる資産はなく、その経営基盤は脆弱なものというべきところ、昭和五九年二月ころからの経営悪化のため、被申請人はその車両の一部を売却し、アルバイト、従業員の任意退職により経営規模の縮少をはかったが、その経営内容は現在に至るも必ずしも好転するに至っていない。
4 本件解雇手続等
(証拠略)、被申請人代表者の尋問結果を総合すると次の事実を一応認めることができ、(証拠略)中左記認定に反する部分は採用することができない。
(一) 被申請人は、昭和五九年一〇月一八日ころ従業員三名を削減することを決定し、同月二〇日の団体交渉の席上で希望退職者を募ることを説明し、その頃募集期間を同月二〇日から二七日までとする第一次の希望退職者募集の掲示をしたが、応募者がなかったので、募集期間を同月二九日から三〇日までとし、希望者がない場合には指名解雇する旨を明示して第二次の希望退職者の募集をした。しかし、希望退職の応募者がいなかったので、被申請人より組合分会に対し一一月二日に解雇する旨の通告がなされたが、一一月一日に行われた地労委の勧告によって解雇は延期され、一一月五日及び一九日に団体交渉がもたれたものの、十分な話し合いがなされないまま終了した。そこで、被申請人は同年一一月二二日付でいずれも四日市事業所に勤務し組合分会員である申請人三名に対して整理解雇の意思表示をなしたものである。右整理解雇の対象者として申請人らが選ばれた理由は、申請人樋口及び市川は出社の遅刻回数が多く、同渥美は警告書、戒告書等を発せられた回数が他より多いことによるものである。
(二) 本件解雇がなされるまでに、被申請人より組合分会員の解雇がなされることを窺わせる言動が二、三あったことが認められる。
すなわち、昭和五九年四月ころ亀山事業所事務所内において、当時の池田課長が労務担当課長原田康雄に対し「遅刻を何回したら解雇ができるか」を尋ねたことがあり、同年八月九日ころ右原田が組合分会長川戸敏彦に対し「四日市営業所の者の態度が悪いから解雇する」と発言しており、また、同年一〇月二四日ころ四日市事業所の藤井課長と申請人渥美克治、分会員中西応宣が他社応援のことについて話し合った際、藤井課長が「今年一杯で、見せしめのため何人か解雇にせなあかんようになるやろな」との発言をしていたものである。
(三) 申請人ら生コン運転手三名を解雇した後、四日市事業所においては、生コン車七台に対し運転手が四名に減少したため、亀山事業所の運行管理者及び従業員各一名が四日市に配置換えになって生コン車を運転し、亀山事業所においては運行管理者がおらず、また代表取締役渡部自身が運転業務に従事するなど、やや不自然な人員構成となっているものである。
三 以上認定の諸事実を総合すると、被申請人は、申請人らが昭和五八年一二月に組合分会を結成して以来、組合分会を嫌悪し、分会との団体交渉を避ける態度に終始し、交渉にのぞんで交渉内容につき誠実に話し合う態度に欠けており、諸種の組合活動に対して妨害的行為を為すなど運輸一般労働組合に所属する組合分会ないしその組合活動を嫌悪し、敵対的態度に出ていたものであり、さらに労働組合対策を専門とする労務担当者原田康雄を入社させて、警告書や戒告書を分会員らの自宅へ内容証明郵便で送達するなど解雇のための証拠作りともいえる行為をくり返し、このことが組合の争議行為を多発させ、両者の関係をますます悪化させつつあったところ、被申請人の横浜事業所の廃止、他社への応援の仕事が減少し、その経営が苦しくなり、被申請人はこの原因を組合活動のせいであると考え、組合分会の活動を弱体化させる目的をもって、整理解雇のための十分な手続を経ることなく、申請人三名を解雇するに至ったものであるから、右解雇は労働組合法七条一号の不当労働行為に該当し無効であるといわざるを得ない。
この点、昭和五九年六月三〇日、三重県地方労働委員会において、組合三重支部と被申請人との間に、双方間の団体交渉につき、爾後互いに誠意と秩序をもって団交をすすめるため、会場は当分の間、亀山商工会議所等を使用し、組合側交渉人員は合計八名以内、交渉時間は二時間から三時間までとし、継続議題の存するときは、団交終了の折次回期日を決める旨の和解協定が締結され、その後の団体交渉においては若干の改善がみられたものの、被申請人は依然として種々の口実を設けて団交の延期ないし拒否を繰り返しており、被申請人の組合分会もしくはその組合活動に対する嫌悪、敵対の態度は本質的に改まらず、結局、右和解協定の成立は、本件解雇の不当労働行為性に関する先の判断を左右するものではない。
被申請人は、その事業縮少、経営悪化により人員整理をなすべき経営上の必要性が存したため本件解雇に及んだものである旨主張する。しかしながら、被申請人の経営が苦しくなったのは昭和五九年二月ころからであるところ、その主たる原因が従業員による他社応援の仕事の減少にあるというのであるから、被申請人は組合分会との間で応援手当等に関する団体交渉を重ね、妥協点を見出すことによって従業員による応援の再開も十分可能であると考えられるのにかかわらず、自己の主張を固執し、組合分会との団体交渉によって事態を解決しようとせず、むしろ組合分会員らに反撥感を生じさせる行為を重ね、その拒否的態度を硬化させてきたものということができる。また、大門生コンクリート・生コン輸送部門の営業廃止は経営上大きな減収をもたらしたことは前認定のとおりであるが、これが輸送を担当していた横浜事業所の閉鎖により、同所の従業員は全員解雇になり、当然これらに見合う経費は不要となっており、右の点に大門生コンクリート・生コン輸送部門は従前必ずしも他の部門にまわせるほどの営業利益をあげていたとは思われないことを併せ考慮すれば、右部門の営業廃止が被申請人の経営を圧迫する要因となったとはにわかに断定できない。以上を要するに、昭和五九年一一月当時、被申請人において必ずしも人員整理を必要とする余剰人員はなく、ひいては就業規則上のやむを得ない事由も存しないのに、且つ整理解雇のための十分な手続を経ることもなく、早急に本件解雇に至ったものというべきであるから、被申請人主張の経営悪化は本件解雇が不当労働行為にあたるとの前記認定を左右するものではない。従って、被申請人の右主張は採用することができない。
四 以上のとおり、本件解雇は無効であるから、申請人らは従前通り被申請人の従業員としての地位にあるところ、申請人らの解雇前三か月間の各平均賃金が別紙賃金一覧表記載のとおりであること、その賃金の支払日が毎月二七日であることは当事者間に争いがない。そして、(証拠略)によれば、申請人渥美は昭和五九年一〇月一五日結婚し、同人の得る給与で一家四人が生活していたものであり、申請人市川は独身であるが、住宅金融公庫に対する毎月の返済、車の月賦等を支払う必要があり、申請人樋口は現在独身であるが、近く結婚の予定があったもので、いずれも給与を唯一の収入源として生活するものであることが一応認められる。
従って、申請人らはいずれも本案判決の確定を待っては回復し難い損害を被ることが明らかであり、その地位保全及び賃金仮払の必要性があると認められる。
五 よって、申請人らの本件仮処分申請はいずれも理由があるのでこれを認容し、申請費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 油田弘佑 裁判官 窪田季夫 裁判官 上田昭典)